2005年12月08日

第2講「陪審員制度論序論」

日本では陪審員制度が戦前には存在し、件数こそ少ないが実際に行われた記録も残っており、しかし程なくすたれてしまった。この経緯を根拠に、日本では長く「職業法曹人」のみによって法が司られる時代が続いたが、「法廷と一般社会との感覚の乖離」や「市民の司法参加の促進」と言った観点から、陪審員制度の導入(あるいは復活)が検討された。そして、法曹界からの猛烈激烈な反発に応ずる形で、陪審員よりも少し権限などがソフトになった「裁判員制度」が、重度の刑事事件に限って採用されることとなった。

だが、歴史的多数を背景とした政府与党は、この導入を間近に控えた「裁判員制度」をちゃぶ台ごとひっくり返し、刑事事件だけでなく世界的にも珍しい民事事件への適用も含めた「陪審員制度」の導入を強行した。

この背景には、「国民をテレビでアンポンタンにして政治への関心を低めた方が、何かと都合がよい」という戦後民主主義60年の原則が、「アンポンタンになった国民なら、政治に参加させた方がもっと都合がよい」というより発展的な方向へと崩れたという状況がある。アンポンタンな国民なら、三権どこにだって参加してほしい、だってどうとでも誘導するの楽なんだもん、という事である。実際、民事裁判における陪審員制度(通称、大陪審。刑事陪審3人に対して民事陪審6人であることからそう呼ばれる)が導入されてからは、裁判での過剰な演技・演出が目立ち、09年6月の札幌地裁では被告である劇団雨期が俳優やダンサー30人超にに衣装をつけさせて証人として召喚したため、ヴェニスの商人みたいな雰囲気だった、と報告されている。

ただし、財力に余裕のある裁判当事者による陪審員向けの「過剰演出」は、米国の刑事裁判ではかねてから存在していたものであり、日本の陪審員制度に特有というわけではない。裁判の演出にお金をかけることが一種の「投資」である民事裁判の場合、世界的にも導入事例が少ないためにお手本が無く、収拾が付かないケースが散見される。さらに、「特設分離法廷」裁判と組み合わさった時に、もう司法なのに無法地帯、という状態になる場合もあり、何でそんなことになってしまったかを中心に、次の講では「特分法廷」に関して論考する。
posted by 蓮田 at 23:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇場法廷論概論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。